明徳舎代表 田島明徳プロフィール

栄光そして挫折

田島明徳

1968年、群馬県伊勢崎市に生まれる。

幼少のころは、塾に通ったりもせず、毎日、暗くなるまで外で埃だらけになりながら遊んでいるような、わんぱく小僧でした。

そのせいか、運動神経が良くスポーツが得意で、また、負けず嫌いの性格とも相まって、小学校高学年になると、少年野球・陸上競技・水泳の大会で賞を取り、地元の新聞に写真が掲載されるくらい活躍していました。

しかし、中学校に入学する頃から、非常に疲れ易さを感じるようになり、スポーツも全然ダメになりました。
病院に行き、いろいろな検査を受けましたが、はっきりした原因は分からず自律神経失調症と診断されました。

これは、二十歳前後まで続き、非常に疲れ易く、肩も凝り、大変悩まされたものでした。
(後で、分かったことですが、これは四柱推命占いの大運で説明が付きました。)

それらを克服しようと、食養法・操体法、あるいはそこから発展して、中国の道教をはじめとする、東洋の哲学に興味を持つようになりました。
そして、気功法・ヨガなどの書籍を読み漁り、また行法を実践することによって、なんとか克服していくことができました。

それのみならず、今現在でも体脂肪率13%前後ですし、ほとんど医者の世話になることの無い健康体を維持しています。健康保険に入るのが、無駄な程です(泣

ですので、ご希望があれば、食事法や健康法に関する、東洋医学的な観点からのアドバイス・指導は可能ですので、是非、お申し出下さい。

四柱推命占いとの出会い

それでも、「なんで自分ばかり、こんなに波乱万丈の人生を歩まねばならないのだろう?」「この先いったい、どうなるのだろうか?」という疑問に苛まれ続けていましたから、サラリーマン生活の傍ら(主にIT関連の仕事をしていました)、姓名判断や手相・算命学・数秘術、はたまた断易などの書籍を読み漁り、個人的に勉強してきましたが、今ひとつ曖昧で納得できずにいました。

ところが、そうこうしている内に、ネット上で四柱推命占いに巡り合いました。
それは、生年月日のみならず、出生時刻までも加味する占いでした。

じつは、それまでわたしは母子手帳を紛失してしまい、自身の出生時刻を知らずにいましたので、出生時刻が必要な占いは避けるのが常でした。

しかし、その時わたしは「出生時刻」こそが鍵だと思い、不審がる母親からなんとか聞きだすことに成功しました。(曖昧ではありましたが、四柱推命占いでは30分単位で十分です。)

そこで、ネット上の有料四柱推命占い鑑定プログラムで試してみると、いままで自分で勉強してきた占いの鑑定結果で目にしたことのない、鋭い指摘が次から次へと出てくるではありませんか!

すっかり四柱推命占いの虜になったわたしは、早速、ネットで検索し、詳しく勉強できる教室はないものかと探してみました。

そうしたところ、なんとありました。それも、自宅からそう遠くない場所に。
それが、五行推命を教えている、小野里重房先生(現師匠)の「新栄堂」だったのです。

早速、伺って教室に関する、詳しい話を聞きました。
費用的にちょっと厳しい面もあったのですが、それはもう、興味のほうが先走っていますので、なんとか工面して入会しました。

その後、分厚いテキストを5回は読み返すほど、勉強しました。
そして見事、教範資格というプロ資格を得られる試験に合格することができ、時節も良いことから、思い切って開業することに致しました。

2012年 五星術実践研究会(現:五行推命学研究会) 教範免許取得。
      明徳舎設立。

今後とも、日々研鑽に励み、皆様のお役に立てるよう、一層努力する所存です。
よろしくお願い致します。